京都に行ってきた話。

先月新選組の足跡を辿ろうと京都を旅してきた。
その時の話。

まず、新選組の屯所があった、西本願寺へ。デケー。で、京都駅で買った、現代と幕末を重ねて比較できる地図を見ながら屯所跡を探すけど、立て札とかが見つからず、いきなりションボリ。おそらくこの辺?と思われるところには記念館みたいなものがあったけど、それらしき表記はなし。私が見つけられなかったの?それとも、そのことは抹消されているの〜?当時は寺の人に快く思われてなかったといわれているしねぇ・・・。
で、そのまま徒歩で島原へ。
島原には、鴨が暗殺される直前まで宴会をしていたという「角屋」がある。
:W170
内部も見られるらしいけど、見学料が高くて断念。でも鴨が出入りする様を想像してみた。でもどうしても鴨の顔が佐藤浩一に・・・。
そして角屋さんから徒歩で八木邸に向かう。考えてみれば、きっと鴨も当日は同じような道を辿ったわけで・・・。そう考えると感慨深い。
八木邸に入る前に、手前にあった壬生寺に立ち寄る。
:W170 沖田総司が子供とよく遊んでいたと言われる壬生寺
ここには近藤さんの胸像と、鴨一派の墓などがある。鴨の墓は小さかった。なんか切ね〜。新選組ファンがメッセージを書いた絵馬などをかけるスペースなどもあり、ちょっと濃密な空気を感じた。
そして今回の旅のメイン、八木邸へ!
新選組がもっとも濃い日々を過ごしたであろう、八木邸。基本的に鴨らが寝泊りしていた建物はそのままだったけど、近藤一派がいた建物は、今はお菓子屋さんになっている。ちょっと寂しい。
到着すると、ちょうど内部の解説が始まっていたので慌てて中へ。そのまま外観の写真とるの忘れてきた〜!!メインイベントだったのに・・・(ちなみに内部は撮影不可)。
で、やっぱり解説は面白かったよ。まずは鴨が暗殺された部屋でじっくり話を聞いたんだけど、鴨が寝ているとき頭を向けていた床の間は、シロアリにやられて新しくなっていた!でも、天井は当時のまんま。解説の方いわく、おそらく血しぶきとかが残っていただろうけど、上から色を塗ってしまったのでその跡は見れないんだって。でも、この部屋でね・・・って思うとそこだけ時間の流れが止まったように思えて、不思議だった。
そして庭に面した縁側を通って隣室へ。鴨が逃げ込んで絶命したと思われる部屋。鴨居に残った刀傷も見れます。穴が開くほどじっくり見ました。鴨がつまずいて転んだといわれる文机もあった。当時、この隣室にはご主人の奥様が寝ていたらしいのだけど、奥様がその時のことを話したのは、ずっと何十年も後だったんだって。それまでは一言も詳細を語らなかったそうで。恐ろしさもあったのだろうけど、きっと暗闇の中でも鴨を襲っているのは新選組のメンツとうっすら判ったのだと思う。それを言わずにおこうと決めた奥様の気持ち、想像したらちょっと泣きそうになった。ええ話や。
他に興味深かった話。

  • 刀傷は沖田がつけたものとされているが、沖田の得意技は「突き」だった。あの場所に刀傷をつけるには、かなり振りかぶらなければいけない。だから、もしかすると違う人がつけたのではないか・・・?とも考えられる。
  • 屋敷の天井が低いのは、当時の人が今より小柄だったから、ではなく、室内でやたら切り合いをしないように、とお上(?)により決められていた。確かにあの低さならやたら刀を振り回すことは出来ないな・・・。

解説の中で「清河八郎が・・・」と言われた時、どうしても白井晃が演説しているところしか思い浮かばず「大河病だなー」と思ってたら、同行者も同じこと考えていたらしく笑った。刀傷も、沖田がつけたのではないとすると・・・誰?土方だったらどうしよう、と胸をときめかせたが、当然私の脳内では山本耕史が想像されており・・・。山本がつけたんじゃないって。お客さんの中にも、「鴨がつまずいたひょうたんはどこにあったんですか?」と聞く人がいるんだって。それは三谷氏の創作なのよー。
いやー、八木邸見れて良かった。また行きたい。同じ解説でもまた行きたい。かなり感慨深くなれました。
その後土方が拷問した蔵がある前川邸を見に行ったけど、内部は未公開。外見だけ見てきた。残念!
で、新選組関連の資料が沢山ある「霊山資料館」へ。近藤の鎖帷子とか、土方の署名とかきっちり残ってて不思議。考えてみれば、まだ140年くらい前の話。つい最近だよ。ほんと不思議。ここもまた行きたい!
時間が余ったので近くの清水寺へ。
:W170 いい写真じゃない?と自己満足。
他にも色々行ったけど、とりあえず新選組関係はこのくらい。